療育手帳更新と障害年金申請不支給
20歳の誕生日までに、療育手帳の更新がありました。
それまで「B2」の判定でしたが「B1」に。精神年齢9歳4か月、知能指数(IQ)50でした。軽度知的障害から中度に。思っていたより悪かったです。
学生の時に何とかなったことも社会に出ると困難が出てくるでしょうと、判定が下がるのはよくあることだそうです。そのことについては、今後、さらにサポートが受けやすくなるのであれば、私はなんだかほっとしました。
障害年金の申請もすると良いでしょうとのこと。
卒業後、A型事業所などで働けたとしても得られる収入は、おそらく7万円くらい。自立はできません。医師の診断書が必要になりますが、SAKIKOは、通院している病院がないので、中学生の時に療育手帳の関連で受診した病院に受診して診断書を書いてもらうことにしました。
当時何度かお会いした医師はいませんでしたし、障害年金申請のために書くのも書きにくいと言われながらでした。でも、内服とか必要なわけではないので、主治医がいない。
普段の生活の困りごと、アルバイトで苦労したことなどをお伝えし書いてもらいました。
そして私は、生まれた時から今までの経歴、生活状況を詳細に記した「病歴・就労状況等申立書」を作成しました。
今までSAKIKOができることに注目して生活していましたので、生まれてからできないことを中心に書き出す作業は、私にとっては、なかなか辛いものでした。学校の先生に言われたことなどがよみがえってきて、当時のいや~な感情も思い出したりしました。
市役所の福祉課で、「もう少し具体的に」などアドバイスをいただき修正して申請。
予定の月数待ったところ「協議中なのでもう少し時間がかかる」と案内がきました。
そしてしばらくして「不支給」と結果が来ました。
医師も「多分大丈夫でしょう、今までこう書いた方は一応皆通ってます」と言っていたのに。障害年金専門の社会保険労務士さんさんに頼むべきだったのか。。。
がっかりしました。
あとから調べましたが、知的障害の障害年金の申請は一発勝負とも、安易すぎたのだと反省しました。
あとから知ったことですが、2024年度の新規の障害年金不支給割合が大幅に上昇した(前年8.4%→13%)という問題があがっていました。
厚労省の調査報告書が出ていました。この時期と重なっていました。
私は、申請準備までにいろいろお疲れモードになり、「不服申し立て」をするパワーはなく、卒業して社会に出てから、困難感を抱えた時にまた再度やり直そうと思いました。
サポートを得ようとすると、SAKIKOができないことを伝えるのが大事になるし、SAKIKOの力を発揮していかれれば、必要なサポートは減るのか、、、悶々としてきたのでした。
A型事業所希望も計画相談員さん見つからず
専門学校が中退となり、保育士の資格が取れないまま、その後どうしたらと思っていました。
週2~3回アルバイトをしている学童クラブにも、保育士になれない旨を言わなくては、と話していました。
保育士専門学校学生だからバイトもさせてもらえているのだと思っていたので、
保育士になれたら、隣接する保育園で働けたりして~なんてきたいもありました。
でも、資格が取れないということは、やめるしかないか。
将来、自活できるようにどうしたらよいか。。。。
毎日働けるところを探さなくてはと。
「学童やめなくてはならないよね」と。週2~3回だけでは、生活としても、給料としてもこのままではねと。
学童とほかのバイトしようかな、とも言ってましたが、実際にはほかのバイトも見つかりません。
SAKIKO自身は、一人暮らしを続けたいということが収入を得る必要があるというモチベーションにはなっています。また、学童の仕事が楽しかったのもあり、なかなかやめるという選択がしにくかったようでした。
SAKIKOといろいろ相談した結果、A型事業所で、サポートも受けつつ仕事をしていくことを目指すことにしました。A型事業所なら、SAKIKOの特性も伝えたうえでスタートでき、1日5時間程度、週5日、そしてその後は、一般就労を目指す、今のSAKIKOには、負担が多くなりすぎず、でも今の週2~3日のアルバイトよりは、収入もあり、生活リズムも整うと思いました。
とはいえ、いまいち積極的でないSAKIKO。
促しながら、A型事業所を複数見学しました。そして興味が持て、自分で通勤できるところもいくつかありました。A型事業所を活用するには、計画相談員さんを自分で探さなければなりません。長い目で見て、SAKIKOが自分で利用できるよう近いところやサイトがしっかりして安心できそうなところに電話してみました。しかしどこも、難しいと断られました。
計画相談員さんがいないと体験できないという事業所や、事業所が決定していないと紹介できない、最初から多忙で無理などと10件九合電話しましたが見つかりませんでした。その後、市役所からもらったリストを片っ端から電話してみることになりました。
小学5年生SAKIKOの振り返り:変化を感じる肌トラブル
SAKIKOのお肌の調子が悪い。
アトピー性皮膚炎が少し悪化しているかも。
小学5年生になって、特に何事もなかったように学校行っているけど
相変わらず皆出席でえらいんだけど。。。
昨年まで7時半には家を飛び出し、「早すぎるんではないか。。。」
と思う位だったのが、最近は、洋服を何回も着替えてみたり、わすれものを取りに帰ってきたりと
15分くらい遅れている。
反抗する事も多くなって、お年頃と喜んでいた部分もあったのだけど。
学校の様子を言葉で上手く伝えられない子なだけに
微妙な変化が心配。
きっと、新しい環境に適応しようと頑張っているんだろうな。
お肌の保湿保湿。。。
そしてケアしながらたっくさんスキンシップだ。
心にも栄養たっぷりね。
小学4年生SAKIKOの振り返り:理解されづらいけど優しいSAKIKO
SAKIKO4年生になりました![]()
毎年環境が変わると家族には、一番心配されるSAKIKOですが。。。。![]()
何だかとっても元気です![]()
今日は、「生き物係になった
」とご機嫌で帰宅。
立候補して、じゃんけんで勝ったんだって![]()
今日の日記には、「生き物係になりました。何するか分からないけど、私は、あきらめません
」だと。
とりあえず、凄い気合い。頑張れ![]()
今日は、ハイテンションで、校歌を歌っています![]()
ちょっと音痴だけど。。。![]()
そして、3年生のときの皆出席賞の表情状を何度も読まされました![]()
SAKIKOは、2年生の時も皆出席
1年生は、頭痛で2日、ばあばのうちに行く用事で1日休んだと。
4歳のコアラ組の時は、吐いて早退して、ママが迎えに来たと、、、、全部本人が覚えてる![]()
まあそれだけ、休むのが少ないの![]()
元気がとりえ。ありがたい![]()
このSAKIKO、なかなか理解されにくいのですが我が家では、ほんとに優しい子で通っています
。
いつも人の心配ばかりしています。自分の心配せ~と言われていますが。。。![]()
公園で、知らない子どもがお母さんに「先行っちゃうわよ」と言われているのを見ていて、「可哀想。置いて行かれちゃう~」と本気で心配していたり。
今日は、3年生の時の担任の先生が、今年度は6年生の先生になった話をしていて![]()
「○○先生、6年生の勉強分かるかな~」と心配してくれていました![]()
まったくも~4年生になっても楽しませてくれています。
SAKIKOの自立への道:コミュ障からの挑戦#
特別支援学校を受験するために14歳で療育手帳を取得しました。
その時、精神科で検査を受けて、「軽度知的障害」「自閉症スペクトラム」と診断されました。
結果を聞くときに、診断結果を聞きたいかSAKIKOに尋ねると「自分のいいところを知らせてほしい、できないことは、わかっている」とのことでした。
入学することになった高校には、SAKIKO特性を理解してもらうことのひとつとして、療育手帳取得していることは、伝えました。
療育手帳でバス料金が半額になるので、その時だけ利用していました。
そして高校に入学してから、高校提携の発達専門の先生と面談し、SAKIKOが受けた検査だけでは、診断がつくとも言い切れないですよと言われ、診断ではなく、今後自立のために何ができるかを考えていこうと思うようになりました。
先生の話では、小学校4年生までの勉強ができれば、仕事もできるし、自立できるよということでした。
いろんなことを経験して学んで、ゆっくり成長していかれればよいなと思うようになりました。
今、SAKIKOは、専門学校で学んでいます。授業の課題で「障害とは」というレポートを書いていました。
「何が普通なのかとか、障害という言葉を使うのは、いかがものだと思うんだよね。それぞれ苦手はあるからね」と言っていました。
そして、「SAKIKOには、障害ってのはないけどね」と言ってたのです。
「コミュ障なだけ」
なるほど、そう思っていたんだ。確かに、苦手なことはいっぱいあるけど、コミュニケーションさえできれば、何とかなりそう。
そのことを踏まえて、このブログのお題を「軽度知的障害・自閉症スペクトラムと診断されたSAKIKOのすすむ道」から「コミュ障SAKIKOのすすむ道」に変更します。
これから、自立に向けてどうすすんでいくのでしょうか。未知数です。
自立への第一歩:学生の一人暮らし
専門学校2年生になって、あまりにも通学に時間がかかり、学校のすぐ近くに一人暮らしをすることになりました。一人暮らしがは、ずっとしたいと言ってはいました。
「アルバイトしてお金貯めて一人暮らしするんだ~」「一人暮らししたら○○するんだ~」とずっと言っていて憧れていたみたいです。このころしきりに、一人暮らしの希望を言うようになりました。大変なこと、気になることを話してきましたが、やはりやってみたいみたい。
「やりたいことは、やりたいと思ったときに一旦やらせてみる」というのが、私の方針。
とにかく一人暮らしをやってみることに。
週に1回は、様子を見に行きながら、食事や掃除を手伝って。困ったことがないか確認してという生活。
親の私は、行ったり来たり忙しくなりましたが、本人は、快適なよう。寂しい気持ちより、自分のペースで暮らせるのが良いようです。
他の人にアレコレ言われず過ごせることで精神が安定するようでした。学校も仕事も遅刻することなく行けています。
ひとり暮らしをさせてみて、できていないこと、わかっていないことが、明確になりました。物事の伝え方は、私の学びになりました。
掃除の仕方、片付けの仕方についても、一つ一つ具体的にやって見せながら説明しないとわかりません。
なんとなくわかるはずとか、当然こうだよね、というのが、全く通用しません。
できていないことは、私が、具体的に伝えていなかったからだと思うようになりました。
最初のころは、週に1回行くたびに家じゅうあれていて大変でした。
梅雨の時期に壁がカビだらけになっていたことも。
「料理をするときは、換気扇をつける」と教えてなかったのが原因。
※料理をするだけすごいとびっくりしましたが。
エアコンは、〇度で夜はお休みタイマーを何時間かける、など、具体的に伝えるようにしました。
臨機応変が難しいということが、よくわかりました。でもちゃんと伝えれば、その通りにします。
そして、一人暮らし3年目に突入です。まだ困りごともあり、きちんとできていない部分も多々ありますが、続けられています。
ひとり暮らしを続けるために、仕事をしなければならないと考えているようです。
よいモチベーションになっています。





偉いぞ